谷底を行く旅

転職も移住も失敗。崖から転げ落ちて、その谷底を行く自虐自笑の記録です。

カントリーフェスティバル <神様の存在を別な意味で感じる>

「カルチャーショック!」

各地に奇祭や危険な祭りはたくさんあります。

お祭りの中には「お祭りありき」で、お祭りがメインのモノもあるのでしょうが、そもそもお祭りとは神事の一環です。

私はこのことを田舎に移住して初めて認識しました。

私が住む土地の祭りは、地味にハードです。

祭りの当番に任命されれば、年末から次の年末までの1年間を通して、大小さまざまな神様を祀る行事である「神事」に半ば強制的に参加させられることになります。

 

例えば、12月下旬から1月上旬まで、当番になった人たちは正月休みはありません。雪が降りしきる中、神楽の奉納や祈祷等、神事に奉仕します。

 初夏の祭りは準備の期間が長く、力仕事や大工仕事といった裏方の仕事に従事します。

これ以外にもあり、当番の人達の1年間はとても長く濃密です。

 

また、神事に参加する新入りはみっちり躾けられます。

「まずは神棚にお参りをしろ。挨拶はそれからだ」

「榊は息が吹きかからないように頭の上までかざしてお供えをしろ」

言われてみれば道理にかなっているため一つ一つ体にしみこむように覚えていけるのですが、40年近く神様と接することがなかった無神論者にとってはカルチャーショックの連続です。

 

都度の神事のたびに、反省会と称する「飲み会」の頻度も多く、酒が飲めないとコミュニケーションのスタートラインに立てないことも、現実に存在します。

 

そうやって、苦労を共にすることで打ち解けることができるという側面がある一方、私のような外様はそういう場で品定めもされているのです。

品定めが済んだ後、仲良くしてくれる人もいれば、そうでない人もいます。

 

また、神事を運営するにはおカネもかかります。運営費は村に住む人たちから徴収します。村を守る神様を祀るための運営費ですから拒むことはできません。

しかし、少子化と過疎化が進むこの村では村民から徴収する金額だけでは十分な運営費が賄いきれなくなってきています。

 

過去に私は、運営費の捻出のために「もっとお金が集まるような仕組みを考えてはどうか」と提案したことがあります。

しかし、長老の「神様を金儲けの道具にしてはならない」という言葉で一蹴されたしまいました。

(・・・次元が違う・・・・。話が通じない・・・)

どんなに貧しようとも、神様は売らない。このご時世に、こんなに信心深い人たちがいるのか、と大きなショックを受けました。

 

<お祭りは楽じゃない>

【祭りは華やかな部分だけではない。運営側は長い時間と労働力を神様に捧げている】

【生きている人よりも神様の方が偉い】

【祭りの協賛金という意外な出費がある】

【神社のメンテナンスも村の人たちが総がかりで一年中行う】

【円満な田舎暮らしを送るためには、酒は飲めた方が有利】