谷底を行く旅

転職も移住も失敗。崖から転げ落ちて、その谷底を行く自虐自笑の記録です。

消 沈(後編)<パワハラで死なないために>

「やってられるか」

小さな農産品加工会社に就職して1年。

田舎ならではの強みである、大量の農作物を活かした商売で飛躍したいと、野心を持っていました。

私の担当は、製造工程管理で、農産物生産者や農産物加工依頼者とのやり取りや工場での仕事の割り振りや食材の管理等です。

社員は私のみで、他は60歳~70歳以上の高齢のパートタイマーさん達(※高齢者を雇用すると補助金が出るため経営上のメリットがあった)。

 

とにかく、仕事の量が多すぎて、さばききれないし、覚えきれない。

運び込まれる毎回違う食材。食材ごとにオーダーの違う加工。

経営者のムチャ振りと罵声・怒声。

私自身の休みがないどころか、パートのおばあさんたちも休みを返上して文字通り老体に鞭を打って出勤。

休みがないことはまだ何とか我慢が出来ましたが、経営者の方のパワハラ気質に全員が悲鳴を上げる始末。

「お前が休んだら誰が納期を守るんだ!」「収入のために仕事をしているんだろ!会社がなくなれば収入はなくなるんだぞ!」「家族のために働いてるんだから、そのために休みがないことで家族が文句を言うのはおかしいだろ!」

・・・等々、毎日拝聴するうちに、自分の価値観が間違っているのかな、と感覚がおかしくなってきます。

反論すれば、話が長くなり仕事が進まないのですが、素直に聞いているとパワハラも加速します。

その経営者の方が、従業員に対してのかなりひどい陰口を叩く姿もよく見かけました。

もちろん、経営者の方も必死だからこそ厳しい言葉で叱咤するのだと思います。

 

ある日、その経営者の方が、「あいつは馬鹿だから」等、私の陰口を言っているのを耳にしました。

気持ちの堤防が決壊するとはこのことを言うのだと思いました。

「もうこの人にお仕えすることはできない。やってられるか」

翌日、退職願を提出し、1か月後に退職しました。

 

<パワハラで死なないために>

【上司だからと言って立派な人間であるとは限らない。コーチングスキルの無い上司、コーチングに向かない上司は存在する】

パワハラは素直に受け続けると、正常な判断ができなくなってくる。その結果さらにパワハラエスカレートする】

【上司を殺すことはできない。そしてその上司のために自身が死ぬようなことは絶対あってはならない。死にたくなるほど辛いのならば退職しよう。生きていればそいつに復讐できる機会もあるはずだ】

【あなたが無能なのではない。人が持つスキルや成長速度はどの人も違う。それを理解できない組織は、いつまでもシステムとルールが硬直化しているし、いつも人材が流動的で定着しない。組織が無能なのだ】

【『こんな会社、なくった方が世のため人のためだ』、と思うほどのくだらない会社なら、こっちから見切りをつけてやろう】

消 沈(前編)<農業で夢を見るなら>

「自然と共に生きるって」

建設会社を6月に退社し、7月末に、食品加工会社に就職しました。

地元で収穫した野菜をカットして提携先に出荷したり、持ち込まれた食材を依頼に応じてドレッシングやジャムにする仕事を主な生業としている小規模の会社です。

 

 農産物の加工に興味があったことと、メーカーで働いてみたいという気持ちが以前からあったため、面接を受けたら、その場で採用となりました。

あっさりと入社が決まり面喰いましたが、後になって取引先からですら「ご愁傷様。大変なところに就職したね」と陰口を叩かれる会社でした。

しかし入社当時はそんなことはわからず、地域の農家の方々とつながってアクティブかつクリエイティブに活躍する自分を夢想していました。

 

自身の偏ったイメージとして、「農家の方たちは朴訥で温厚な感じ」と勝手に思っていたのですが、実際お付き合いしてみると、その地域独特の土地柄のせいか、個性的な方が多かった印象です。

 

 農作物は収穫期は収入が得られますが、収穫期を過ぎると収入が途切れます。

 また一方では、野菜や果物は収穫期に豊作で獲れすぎてしまっても、保存や需要には限界があるため、場合によっては廃棄になることもあります。

よって、それを解消するために、収穫時期にたくさんとれた農産物を保存しやすく加工して、作物を無駄にすることなく、年間を通して収入源となるアクションを起すことが農業での生き残りの方法の一つになっています。

具体的には、果物をミキサーにかけて果汁にして、凍結させてアイスやジュースの原料にしたり、野菜を刻んでドレッシングにして土産物屋で販売します。

これを6次産業と言います。

6次産業とは、1次産業である農業、製造・加工業である2次産業、販売・流通の3次産業を掛け算(「1次産業の1」×「2次産業の2」×「3次産業の3」=6)した造語です。

 

自然を相手にするため、農家の方々はもちろんのこと、加工の現場も、牧歌的とは程遠く、むしろ過酷です。

農産品加工の現場は、不作のシーズンは加工の原料が足りず納期に間に合わない恐怖があり、豊作のシーズンは連日恐ろしいほどの量の作物を延々と加工し続ける地獄。

私が勤務した1年間は「調度いい」シーズンがなく、1年を通して豊作と不作どちらかの恐怖と地獄の時期をほぼ交互に体験しました。

 

<農作物をあてにした第6次産業で田舎暮らしを考えるならば>

【農業を愛せる人ならば豊作も不作も前向きに楽しめる】

【地域の農家に顔が利く人であればリスクが小さくなる】

【農業が盛んな地域といっても、不作がないわけではない】

【豊作のシーズンは加工も地獄。加工品の保存場所探しも地獄】

 

 

 

迷 走 <未経験で建設業界に再就職を考えているなら>

「なりふりを構っていられなくなってきた」

12月の初旬には再び無職になり、また焦りました。

「このままでは無職のまま新年を迎えてしまう」

 

スーパーマーケットへの転職での失敗を踏まえて、今度は仕事内容だけではなく、給与と定休日についても自分なりの基準を持とう、と決めました。

もちろん前職と同額の給与は見込み薄なので休日がきちんとあることも重視することにしました。休日に副業をすることで、早く再起を果たしたかったからです。

 

思い切って営業職に挑戦しようと考えました。この頃には完全に頭がおかしくなってきていて仕事を選ぶ判断基準もブレが出てきました。自分が何者なのかを見失っていました。

「初心者歓迎」「親切丁寧に教えます」の求人票の記載に心が惹かれ、全く未知の建設業界の門を叩きました。

この頃には「今後資格くらい持っておかないと自分の価値などない」と思い始めて、第2種電気工事士の資格取得に向けて勉強を始めていました。

資格取得の意欲を買われて、暮れも押し迫った12月下旬に、住まいから車で1時間強かかる街にある土木建設設備の会社に営業職として就職しました。

 

本当に親切丁寧に指導してもらいました。私もそれに応えようと必死で勉強し、上司の期待を裏切らないように無償の残業も買って出ました。おかげで上司にも可愛がられました。

しかし業界未経験の40代半ばのおじさんが働くには厳しい世界でした。

全く仕事を取ってくることができないのです。

入社後半年経過しても、1つか2つしか小さな仕事しか獲得することができないことに相当気落ちしました。

仕事が取れないのに毎日飛び込みで営業先に出向くことが大きなストレスになり、食事が喉を通らなくなりました。

やつれた私を見かねて家族が心配するようになった頃、折悪しく、自分の不注意で自身が大怪我をしたことも重なり、それを理由に今まで自分を可愛がってくれた上司に土下座して退職を申し出ました。

 

<未経験で建設業界に再就職を考えているなら>

【実戦経験を伴わないお飾りだけの資格はほとんど役に立たない】

【現場経験も知識もない場合、営業先の問い合わせに即座に応えることができないので信頼を得ることが困難。当然すぐに結果を出すことができない】

 【建設業界の朝は早い。そして営業職であれば帰宅が遅い。早朝から深夜まで勤務する覚悟と体力が必要となる】

【仕事につながる情報はネット上にはほとんど落ちていない。足で稼ぎ、器量と力で獲得するしかない】

【納期は絶対。納期間近は残業、休日返上の覚悟が必要】

泥 沼 <スーパーマーケットで働く>

「負のスパイラルの幕開け」

移住から3か月が経過した11月。スーパーマーケットに就職しました。

 

スーパーマーケットは未経験でしたが、前職と同じ小売業だったので今までの経験が活かせるのではないかと考えたからです。

給与は前職よりかなり下がるものの、この出だしなら頑張り次第で何とかなりそうな金額が求人票に記載されていました。

最初の勤務地は住まいから車で1時間半かかるのですが、半年後には住まいから1時間弱の街に新店ができる予定で、研修後にはその新店に異動することになっていました。

 

求人枠一名の枠に何とか滑り込み、配属されたのが総菜部門。

出世する人が通る道と聞かされました。

 

総菜部門は開店前に一通りの惣菜の調理を終わらせて店頭に陳列しなくてはならないため、配属されたお店では開店の4時間前の朝の6時過ぎから準備が始まります。よって私は自宅を朝4時に出発します。

私は新人のため、一日中揚げ物をフライヤーの前で揚げ続けます。

天ぷら、から揚げ、フライ。肉、魚、野菜、豆腐、ちくわ…

今まで培ってきたマーケティングの知識やマネジメントのスキルは一切不要。

夕方までひたすら揚げる作業。それでもやりがいがあり、仕事に没頭しました。

 

勤務してから2週間ほど経過してから勤務契約書が手元に届きました。

勤務契約書を見て驚きました。

ハローワークの求人票に記載のあった金額より10万円も低い金額が記載されていたのです。学生アルバイトでも稼げる額でした。

慌てて上司に確認すると、店長クラスでも求人票に記載のあった給与はおろか、20万円ですらもらえるわけがないと聞かされ、青ざめました。

 

上司に説明を求めると、後日人事担当者から呼ばれて、求人票の記載に不備があったことと、入社の際の説明が不足していた旨謝罪がありました。

12月の上旬、気温も下がり、ずいぶん冷え込んだ頃でした。

結局採用から1か月ほどでスーパーマーケットは退職し、また無職になりました。

 

<スーパーマーケットで働くということ>

【給与や休日といった待遇面の確認はしつこく聞くくらいでもいい。それで相手が嫌な顔をするならそういう会社。就職後に禍根を残す】

【スーパーマーケットは勤務がタイトで過酷。まさに時間との闘い。でも効率を考えて他人よりも早く動いて誰よりも汗を流せる人は重宝される】

【普段から家で料理をしたり家事をする人は向いている】

【同じ小売業でも専門店とスーパーマーケットでは、仕事に求められる知識とスキルはかなり違う】

焦 燥 <45歳からの就職活動 再就職活動で肝に銘じておくこと>

「夢想転職」

起業をいったん断念して就職活動をすることにしました。

移住してから既に1か月経過し、娘の夏休みも終わり、9月になった頃のことです。

 

まずはハローワークに出掛け、失業手当の手続きをしました。

手続きをしたところで、手当てがもらえるのはまだずっと先です。

貯金があるとはいえ、無収入のまま就職活動を続けていくことにかなりの不安でした。

(早く就職しなくちゃ…)精神的重圧がのしかかってきます。

 

ハローワークのホームページを閲覧する日々が始まりました。

地元の街だけではなく、隣の市まで視野を広げて探しました。

再就職にあたって次のように考えていました。

①自分が今までやって来た小売業、もしくはこれからの副業にもつながりそうな業種

②以前と同じ収入に近い収入を将来的にに見込める可能性があること

③(副業ができるように)休みがきちんとあること

・・・そんな都合のいい就職先などあるはずもなく、ひと月が過ぎました。

 

住まいから車で小一時間ほどの地域にある廃品回収業社から内定をもらいました。

入社してくれるなら現場もやってもらうが、営業もやってもらいたい。特に鉄を集めてもらいたい。と経営者の方から面接の際に言われました。

鉄を集める、という言葉にロマンを感じました。

 

しかし、就職には至りませんでした。

自分としては副業に活かせる知識や技術を学ぶこともできるかな、と思ったのですが、

とくに体面を気にする義母から強く反対されました。

自分の直観力を信じることができなくなっていました。

一緒に住み始めたばかりの義母からこれ以上の反感を買うのは得策ではないと判断しました。

起業で挫折して心が弱っている私は反論することもできずに内定をお断りしました。

 

<再就職活動で肝に銘じておくこと>

【自分が過去につかんだ栄光など再就職には役に立たない】

【人手不足の時代だから就職口はたくさんあるだろう、は当たってるけど、自分に都合のいい仕事は思っているより存在しない】

【再就職活動は焦りで心が弱り、直観力より妥協を選びがち】

【家族から反対される就職先が存在する】

 

滑 落 <早期の起業断念に至らないために>

「敗北宣言」

起業のために妻の実家である地方の田舎に移住したのは2015年の夏、娘が小学校最初の夏休みに入った頃のことでした。

妻の実家は山の中にある限界集落になりかけの村落にあり、麓の小さな町まで車で10分ほどかかる場所にあります。

 麓にある小さな町に店舗を借りて、店舗とネットで古着と雑貨を販売しようと思っていました。

小売業時代には新店舗の立ち上げに立ち会ってきたので、走り出してしまえば何とでもなると考えていました。

 

退職前から目星をつけていた空き店舗があり、大家さんと交渉をしていましたが、いざ移住して本腰を入れようとしたところ、最終的にこちらの希望と先方の希望が合致せず白紙になりました。

ド田舎だから空き家なんていくらでもあるだろう、くらいに軽く考えていましたが、都合のいい物件など見当たるはずもなく、だんだん焦り始めました。

 

地元の商工会議所に行き、自身の起業プランを鼻で嘲笑われてなじられました。

そのことを妻と義理の母に話し、いったん起業を断念し就職をしなおすことと、元の起業プランは副業として再出発をすることを告げました。

 

妻は「まだ諦めなくても」と残念がりました。

義理の母は私に対して相当落胆し、義理の母からの私への信頼は失墜しました。

故郷に置いてきた自身の両親に対しても申し訳ないと思いました。

 

口では「副業で再起する」と、いきがりましたが、

この日の夜、自分が敗北したことを自覚しました。

 

<早期の起業断念に至らないために>

【起業するなら今住んでいるところに近い場所か、土地勘がある場所の方がリスクが少ない】

 【ルールと価値観や生活のパターンは地域によって、自分が暮らしている地域のものとはかなり違う。特に田舎の場合は住んでみることで初めて気づくことが多い】

【Uターン、Iターンで起業する場合は情報収集や計画に十分すぎるほどの時間をかけた方がいい】

浅 慮  <サラリーマンを辞める前に>

「サラリーマンを辞めたい」

 脱サラして独立を考えていらっしゃる方は、もう一度考え直してみてください。

「起業をしてはいけない」と言うつもりはありません。

サラリーマンを続けながら副業的に準備をして機をうかがうこともできるはずです。

もしこれを読んでいる人が40代の方なら尚更です。

 

私は40代に入った頃、45歳になった年に「起業」して独立しようと考えていました。

 

小売業で店長職に就き、それなりに実績も出し、自信も信頼も手に入れ、まさに順風満帆。「俺は販売のプロだ」と自負がありました。

「会社を辞めても自分なら何とかなるだろう」 。楽観的にそう思っていました。

 

40歳を過ぎてからの「転職」は、本当に大変です。

 

・・・・・そうです。私は「起業」するために会社を辞めたのに、結局は「転職」になってしまいました。

 起業するにあたって、自分の場合はもっと考える時間を取るべきでした。

 

チャンスという時流を逃したくない、という焦り。

今までの実績と思いついたアイデアで勝負したい、という思い上がり。

 

「天才」であれば、勢いで成功をつかむのでしょうが、それは一部の一握り程の人達。

おそらくほとんどの人にとって、「起業」とは「深慮が必要な事」だと思います。

 

私の場合、深慮が足りず、自分なら進めると思った崖から滑り落ちました。

「あれ?」と思ううちにどんどん滑り落ちて、ようやくあたりを見渡した時には

谷底にいました。

 

谷底に落ちた時、自分の浅慮で家族を巻き込んでしまったことを申し訳なく思い、

そして自分の情けなさに絶望して、毎晩死ぬことばかり考えました。

 

<サラリーマンを辞める前に>

自分の起業アイデアについて、まずはサラリーマンを続けながら副業でできないか考える。副業として実践できるのであればそれで始めてみる】

たぶんあなたは天才ではない。あなたが思いつくアイデアは他の人もとっくに思いつている。過信は文字通り命取りだ】

ビジネス書でサクセスストーリーを語るヒーロー達は一握りの天才。「考えるよりやってみろ」と彼らは言う。しかし、甲子園で活躍した球児達のすべてがプロ野球選手として活躍できるだろうか。プロ野球チームでエースや4番打者として活躍した選手のすべてがメジャーリーグで活躍できているだろうか。浅慮は危険だ】

【自分の貯金を確認しよう。強力な金蔓がいるなら話は別だが、一発勝負しかできない程度の軍資金の場合は、万一失敗したときに再起どころか生きていけなくなる】

【あなたは素晴らしい人材である。それは疑いようがない。だからこそ深慮が必要である。浅慮で身を滅ぼしてはいけない】